エジプトのピラミッドの素晴らしい発見

Naomi Kuro | October 10, 2023 3:55 pm

エジプトのピラミッドは、世界でも最も謎に包まれた不思議のうちの一つだ。何世紀もに渡って調査を続けているにもかかわらず、科学者らはそれがどのようにして作られたのかについて、未だに正確に解明することができていない。考古学者らはこの巨大墓地の所在について、わずかながらに事実を突き止めているものの、それでも尚毎日、新たな謎が解き明かされている。

ピラミッドに関して、我々が調査できているのは、一部のほんの表面的な事にしか過ぎない。古典古代における世界七不思議のうち現存する唯一の建物である、ギザのピラミッドについて、その発見をぜひご覧いただきたい。

20,000人の手によって、20年間に渡って造られた

何世紀もの間、紀元前2550年頃、クフ王によって建設されたといわれていた巨大ピラミッドは世界最大の構造物だった。これまでの発見から、エジプト人らは、このピラミッドの建設には、ロープや滑車装置の他、木製の道具しか使っていなかったことが明らかとなった。

これは、決して簡単なことではない。実際に、科学者らにとっても、これが果たして可能なことなのかさえ分からないほど、驚愕の事実なのである。また、このピラミッドはおよそ20年かけて20,000人の作業者を使って建設されたと考えられている。

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便利な道具は一切使わずに建てられた

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ピラミッドは巨大な花崗岩と石灰岩を500マイルほど引きずって建てられたと科学者らは推測している。ナイル川から持ってこられたものもあり、岩の重量が2.5~15トンあることを考えると、この作業が非常に果てしない作業であることがわかる。現在の一般的な車でさえ、平均2トン強しかないのだ。

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それでは、どうやって車よりも重い岩を、500マイルも引きずって運ぶことができたのだろうか。もちろん、手押し車などの便利な物を使用した訳ではない。古代エジプトには鋼鉄や鉄などの金属はなく、使えるのは木と岩だけだったのだ。

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かつてはダイヤモンドのように輝いていた

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かつて、大ピラミッドは周りの土や砂に触れることはなかった。現在ある姿は表面が剥がれ落ちたものなのである。全盛期には、大ピラミッドは白く磨き上げられた石灰石で覆われ、ひときわ輝いてその存在感を示していた。石灰石の表面を平たく、ツルツルになるように仕上げていたため、直射日光があたるとピラミッドの表面は滑らかに輝いて見えたのだ。

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また、ピラミッドは太陽の光を鏡のように反射させ、砂漠から現れた宝石のようだったと言われている。しかし、1303年に大地震が起こり、この表面のほとんどが剥がれ落ちた。それにより表面は、モスクや要塞に再利用されてしまったため、今現在残存するピラミッドは輝いてもなければ、表面はツルツルでもないというわけである。

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四角錘ではなく、一側面は8面

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大ピラミッドが一般的に四角錘だと考えている人は多い。確かに地上から見るとその形は四角錘に見えるが、飛行機に乗って真上から見ると実はそれが違うことが分かる。ギザの大ピラミッドには、側面が8面あるが、これは空中からでないと分からない。これは、外側を覆う石がずれないようにするためではないかと考えている人もいる。

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一方で、浸食によって本来は4面であったものが、8面になってしまったのではないかと考える人もいる。いずれにせよ、それぞれの面につけられた角度は、わずかなブレもなく驚くほどに正確である。果たしてこれは一体どんな工夫があったのだろうか。

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エジプト人よりも古い、高度な文明の賜物

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エジプト人が、木と縄を使ってピラミッドを建設したと信じられているものの、科学者らは正確にピラミッドがどうやって建てられたのかを未だに再現することに成功していない。これまでに明らかになっている歴史上の事実からは、エジプト人はこれほど大きく、正確にピラミッドを作れるような道具を持っていなかったと考えられる。事実、科学者らが小規模のピラミッドを再現してみせようと試みるが、毎回失敗に終わっている。

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前述したように、ピラミッドは重さ2.5~15トンである岩を230万個も使って建てられたとされている。そもそも、この岩の重さに耐えられる木など存在せず、当初の計画の20年でピラミッドを完成させようとすると、作業員は2.5分ごとに1つの岩を重ねていかなければならない計算になる。こうした理由から、科学者の中には、ピラミッドは実際にはエジプト人より以前に、高度な社会によって建てられたのではないかという説を唱える人もいる。

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花崗岩でできているクフ王の石棺に開けられた穴

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大ピラミッドを建設させたと言われるクフ王の石棺には驚きの事実があった。そして、それが発見された時は、多くの科学者らを謎に包んだのである。石棺の重量は3.75トンで、ピラミッドが建設された後に運び込むには大きすぎるし重すぎるのだ。理論上、ピラミッドの完成前に置かれていなければならなかったはずだ。

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さらに、この石棺全体が大きな一つの花崗岩から掘り出されていたのだ。花崗岩は結構な硬さのある岩だ。その上、石棺にはまるでドリルで開けたかのような穴まであった。この時代に、一体どんなドリルを使って花崗岩に穴を開けたのだろうか。間違いなく、木製のつるはしなどではないことは確かだ。

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地下迷路は予想よりも大きいのでは?

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ピラミッドには、石灰岩の基盤から掘り出された複雑なトンネルがあり、あっと驚くような発見は、大体こうしたトンネルの中から見つかっている。未だにこの入り組んだ迷路の全容は明らかにされていないが、それでも何かが発見される度に、科学者はますます混乱していっている。

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学者や科学者らがピラミッドの地下にある墓地について、何かを隠しているのではと疑っている人もいる。確かに大ピラミッドの地下には、迷路が見つかっているが、ヘロドトスやストラボンのような古代の学者が、著説の中で書き残していることから、カイロから約55マイル南下したハワーラという都市の地下に、もっと何かがあるのではないかと考えている人もいる。

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謎の大きな隠し部屋を発見ー目的は誰も分からず

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近年になって、科学者らは大ピラミッドの内部に今までにない新しい部屋を発見した。この調査に使用したのは、宇宙線によるイメージングだ。これは岩を通過する素粒子の飛来経路を記録するもので、大まかに言えばレントゲンのような役割をするものだ。もちろん、透過能力が格段に高いという点を利用し採用された。残念ながら、得られた画像の解像度は低く、その部屋の解析に成功した科学者らも、それが1つの部屋なのか、いくつもの部屋が続いているのかまでは分からないと言う。

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どちらにせよ、この発見によってますます謎は深まり、この部屋が何のために使われたのかについてまだ誰も分かった事実はない。ピラミッド内部に空洞が設けられているのは、岩にかかる圧力を軽減し、崩れ落ちるのを防ぐためとして一般的に知られているが、こうした部屋には、常に他の目的もあったに違いないとされている。この部屋は何か、エネルギーでも発生させることができるのだろうか?

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隠し部屋は、エネルギーを生み出している?

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何世紀もの間、古代エジプトのピラミッドには、エネルギーが集中していると信じられてきた。現在、科学者らはその手がかりをつかんだかもしれないと考えられている。巨大ピラミッドの隠し部屋を発見した後、科学者らが調査を実施した結果、部屋の内部に電磁波エネルギーが集中していることが明らかになった。

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さらに、この481フィートの建物がその電磁波エネルギーを、隠し部屋に集中させていることが判明。高いエネルギーはクフ王と女王の部屋で見つかっている上、これまで明らかになっていなかった謎の部屋でも見つかっている。

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1922年、ツタンカーメン王の墓を発見

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king tut
Hulton Archive / Stringer
Hulton Archive / Stringer
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ツタンカーメン王はエジプトのファラオの中でも最も有名だと言えよう。これは1922年イギリス人考古学者のハワード・カーター氏が、精巧なツタンカーメン王の墓を発見したことによるところが大きい。ツタンカーメン王の墓の入り口は王の谷にあり、岩屑で覆われていた。

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それからおよそ3,000年の時を経て、カーター氏と仲間の考古学者、ジョージ・ハーバート氏が入り口を発見したとき、彼らは一瞬、目を疑った。内部には壁画や、香水、精油、宝石、石像など副葬品が至るところに見つかったのだ。室内には3つの棺が置かれ、最奥の棺は黄金でできたもので、ツタンカーメン王のミイラが収められていたのだった。

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ツタンカーメン王の墓の修復には10年以上

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king tut restoration
Getty Images
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2009年、ツタンカーメン王の墓の修復作業が開始された。「History」によると、アメリカのゲティ保存研究所とエジプトの考古学博物館は何十年もの間、観光客に公開されたことによって生じた壁画やレリーフの状態の悪化を共同で調査し、修復作業にあたった。

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上記の写真は修復が完成した壁画の一部だ。すべての修復・保存作業を合わせると、10年以上もかかっている事になる。

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見つかった石像の謎

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2018年8月1日、エジプトの考古最高評議会はサッカラにあるジェセル王のピラミッドで新たな発見をしたと報じた。チームは修復作業中に、エジプトの重要な神々の一人、オシリスを模した石像を発見したのだった。

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この発見は、誰がこのピラミッド内の穴にこの石像を置いたのか、そしてその理由は何なのかという謎を呼んだ。現在、サッカラの遺跡発掘現場長は「古代サッカラの神官によってこのエリアに埋められたものだろう」と推測している。

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地下迷路から謎の100トンの箱が見つかる

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最近になって、考古学者のブライアン・フォースター氏はアスワンの花崗岩から正確に切り出された20個の箱を発見した。それぞれの箱の重量は100トン(木の道具ではとても運べないほどの重さ)で、元々は珍重されていた牛を弔う場所かと思われていたが、実際に牛が埋葬された証拠は一切なかった。

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これらの箱には、古代のエネルギー形態がおさめられていたと唱える科学者もいるが、主流派の学者らはこの見解に否定的である。しかし、実際に足を踏み入れたなら、あなたもこのエネルギー説を唱えたくもなるかもしれない。

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ピラミッドの部屋から熱が発生しているという事実

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さて、ここで整理してみよう。謎に包まれた巨大なピラミッドが存在しているが、誰もどうやって作られたのかは、はっきりとは分からない。さらに、この巨大な構造物は、まるで電気で換気を行っているかのように、中の部屋からの熱を逃しているのだ。一体何がここで行われているのだろうか。

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2015年、科学者らは熱探知スキャナーを使って大ピラミッドを調査したところ、このエリアから何らかの形で熱が発生していることが明らかになった。また、古代技術(おそらく謎の100トンの箱にあるエネルギーに使われているのと同様の技術)によってこの熱が発生していると言い出す科学者らもいた。更には、ピラミッドの上半分でも熱エネルギーが集中していることが分かり、おそらく通路や隠し部屋がまだきっとあるのではないかと思われている。

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巨大ピラミッドは発電機の役割?エジプトには電気があったという説

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歴史上、古代エジプトは高度な技術社会などではなく、ギザのピラミッドは単にファラオの大きな墓地であったことが推測されている。それでもなお、科学者らは原始的な道具しか持たない原始的な社会において、人々がどのようにしてこのように大きなものを建設できたのか、そして熱エネルギーが発生する謎について解明できていない。仮に、古代エジプトが当初考えられていたよりも、原始的な社会ではなかったとしたらどうだろうか。

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学者の中には、古代エジプトでは電気が使われていたと言う者もいる。その証拠として、残された彫刻の中で、エジプト人が手にしている小型の電灯は、ワイヤレスで点灯しているように見えるのだ。ピラミッドの下には地下水が流れており、大ピラミッドの地下にある空洞を通る水は、電流をも作りだせるという。もし、そのエネルギーが利用できたのであれば、ワイヤレスの電灯も可能だと言えるだろう。また、大ピラミッドの中のシャフトは花崗岩でできているため、わずかに放射能を有している。そして、これが内部の空気をイオン化する。この仕組みは、導電性の絶縁ケーブルと同じだ。しかし、このシャフトは他の利用目的のためにあるのでは?という科学者もいる。

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巨大なピラミッドにシャフトはあるが、その理由は謎に包まれたまま

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大ピラミッドは、ギザにある3つのピラミッドのうち、唯一シャフト(通気孔)が設けられている。さらに、これらのシャフトの角度は天体と一致している(そう、天文学と宇宙人の可能性について話している)。一体、どのようにして古代エジプト人は星とシャフトの角度を同じように配置できたのか、そもそもどうしてそんなことをしたのかについては、まったくの謎である。

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一説によると、これは死後、王を来世に世界にいざなう為の行為と関係しているのかもしれないと唱えられている。もしかしたら、宇宙人と交信するために使われていたのかもしれない(おそらくそれは難しいだろうが)。しかしながら、これらのシャフトはどれも、外部と繋がっていないのだ。中には完全に閉じられているものもある一方で、他は、おそらく通気孔に使われていたのだろう、というのが一般的な見解だ。もちろん、エネルギーを伝導させていたと信じる場合は、別の話だが。

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片手で開けられる重さ20トンの扉

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重量が20トンもある扉を、押して開くことができる人はそう多くはいないだろう。しかし、ギザの古代ピラミッドでは、完璧なバランスで作られているため、万が一中に閉じ込められてしまった場合にも、中から扉を簡単に押し開けることができるのである。こうした重い扉は、いくつかあるものの、外部からは全く見つけることができない。

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また、内側からであれば、片手でさえ、その扉を開くことができる。この扉の存在は、大ピラミッドが初めて調査されてから明らかになった。しかしながら、古代エジプト人らがどのように岩を切断し、内側からのみの少ない力でドアを開けられるように設計、配置することができたのかについては、未だ誰にも分からない。

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「巨大空間」こと隠し部屋はどことも繋がっていない

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11月に発見された新しい隠し部屋は、「巨大空間」と呼ばれており、実際、そこは全くのがらんどうなのだ。さらに、その部屋はこれまでに発見されたピラミッド内部にあるどの通路とも繋がっていない。そして、現時点で分かっている方法では、大回廊に行くためには、かがんだ姿勢のまま、長いトンネルを歩かなければならない。大回廊は、女王の部屋と王の部屋を繋いでいるのである。

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巨大な墓地としては、どこもおかしい点はないけれども、そうなると、この巨大空間は一体、どこにあるのだろうか。答えは、大回廊の上部である。その巨大な空洞は長さ30メートル以上あり、科学者らは、これが大回廊にかかる重量を緩和させ、崩れ落ちるのを防いでいるのではと考えている。いずれにせよ、大回廊の真上に位置するこの巨大空間は、大回廊とほぼ同じサイズで成り立っている。

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3つのピラミッドの配置はオリオン座の三ッ星と一致する

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奇妙なことに、大ピラミッドのシャフトのみが天体の位置と同じ配置となっているわけではない。クフ、カフラー、メンカウラーのピラミッドは、オリオン座の中心の三ッ星の配置と完全に一致するのだ。そう、オリオン座の中心をなす、アルニタク、アルニラム、ミンタカだ。一体、なぜなのだろうか。その答えは誰にも分からない。

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ピラミッドは南東の角度で並べられている。古代エジプト人はどうやってこの巨大な構造物を正確に並べて建設したばかりか、天体の配置と合わせたのだろうか。オリオン座の三ッ星に並んでいるという事実は、ピラミッドが建設されてから2,000年後に発見された。古代エジプト人は、オリオン座を復活と生産の神、オシリスの分身であると考えていた事に何か関係しているのかもしれない。

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ピラミッドは王が太陽神のもとに戻るために作られた?

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もしピラミッドが宇宙人の建設した構造物であるという説や、巨大発電施設であるという説を信じないのであれば、この説はどうだろう。それは、ピラミッドが王が太陽神ラーのもとへ行くために作られたのだという説だ。古代エジプトにおいて、王は自身を地上に生きる神だとしていた。

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死後、王は天に帰らなければならない。そのため、生きている動物や黄金、そして大ピラミッドの地下室内で発生している熱のように、王が死後必要とするかもしれないものを備えているのだ。

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現代のグリニッジ天文台よりも正確に真北を指している

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古代エジプト人らは現代の我々の文明以上に正確に測ることができたのだろうか。ピラミッドは北を指していることは分かっているが、北方向というあいまいなものではなく、磁北からの誤差は0.05度であり、これはグリニッジ天文台よりもはるかに正確なのだ。

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グリニッジ天文台は実際の時間をGTC(グリニッジ平均時または本初子午線)に合わせているが、これは真北からは実に13度も外れている。これは1675年になって作られたというのに。ほんの数百年前でも真北に合わせられないというのに、古代エジプト人らはどうやって真北を求めていたのだろうか。古代エジプトの時計は現代の我々のものと比べて、どの程度正確だったのだろうか。

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ピラミッドには数学定数が使われている

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さて、これまでの発見も十分不思議なことばかりだったが、これはどうだろう。大ピラミッドの長さから高さを引くと、314.16となる。これは円周率πの100倍の値だ。またメートル法で二辺を足すと、φ(いわゆるゴールデンナンバー)の二乗の100倍になる。φは1.618で芸術や建築、そして神学で幾度となく使われている。

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πは数学定数で現代の測定法が使われるようになった1793年に発見されたのだが、古代エジプト人は時代を先取りしていたとでも言うのだろうか。古代エジプト人はキュービットという単位をよく使っていた。1キュービット=0.0536メートルだ。直径1キュービットの円周の長さはπになる。

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かつてはピラミッドの周りには数々の建物があった

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現在、ギザのピラミッドは砂漠にポツンと存在しているかに見えるが、かつては周りに他の構造物や建物が存在した。もちろん、ピラミッドがメインの建物ではあるが、周りには小さな墓地があり、ネクロポリス(死者の町)と呼ばれていた。

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ピラミッドの周りには、王を称える神殿などのような宗教建築物があり、それらの神殿を管理をする者はその周りにある更に小さい建物に住んでいたという。次に、ギザの大スフィンクスについても見ていこう。

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スフィンクスは誰が作ったのかも不明

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ピラミッド同様、いや、それ以上にギザの大スフィンクスも謎に包まれている。誰がスフィンクスを建てたのか、誰も分からない。考古学者らの間でも意見が割れている。二番目に大きいピラミッドを建てたカフラーが作らせたという者もおり、その説でいくと、西暦紀元前2500年頃にスフィンクスは作られたということになる。確かにスフィンクスにはカフラー王の特徴があることからも、彼に似せて作られたのかもしれない。

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スフィンクスはカフラー王ではなく、カフラー王の父で、最大のピラミッドを建てたクフ王が作らせたのだという学者もいる。ただ、中にはスフィンクスはカフラー王やクフ王以前に作られたという者もいる。その説の根拠はスフィンクスの顔に見られる水による損傷だ。西暦紀元前6000年頃のエジプトにたくさん雨が降ったことから、スフィンクスがその時代に作られたという推測に基づいている。アスワンダムが完成する前は、スフィンクスもピラミッドも毎年洪水で流されていたという。

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人工衛星の赤外線探査で、17基のピラミッドが新たに見つかる

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ネクロポリスには墓だけではない。考古学者らは人工衛星を用いて、地中に隠れている構造物を探索しようとしている。これまでにギザの周りから17基の新しいピラミッドが確認されている。探索に使われている赤外線技術によって、地中に隠れていた1,000以上もの墓地が発見されている。

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NASAから資金提供を受けている考古学者のサラ・パーカック氏は「こんなに多くの墓が見つかるとは思っていませんでした」と話す。ピラミッドの発掘調査は考古学者の夢だ。「新たに発見された17基のピラミッドのうち、2基がすでにチームによって現場で確認されています。毎日のように新しいピラミッドが発見されていても、最も古いピラミッドがジェセル王のものではないかと考えられています

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ジェセル王のピラミッドが最古だと推測されている

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メンフィスの北西にあるジェセル王のピラミッドが最古のピラミッドだと考えられている。紀元前27世紀頃に建てられたとされるこのピラミッドは、中庭や神殿などに囲まれている。科学者らによれば、風雨で傷んでしまったこのピラミッドは元々203フィートの高さだった。泥れんがで階段ピラミッドとして建てられ、複合体構造となっている。

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墓内部の埋葬室は時の経過で荒廃している。考古学者らがジェセル王のピラミッドを発見したとき、内部にはすでに遺体はなかった。ジェセル王の墓とされながらも、何年にもわたる略奪などにより、宝物などは何も残されていなかった。

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ギザのピラミッドは3,871年間も、世界で最も高い建物だった

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およそ4,000年もの間、ギザのピラミッドは最も高い人工物だとして記録に残されてきた。この記録は1311年にイギリスにリンカーン大聖堂が建てられるまで続いた。数十年間の建設で完成したとされるピラミッドとは異なり、この大聖堂の建設にはなんと200年以上もかかっている。

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今日のリンカーン大聖堂を見てみると、ギザのピラミッドより高いとは信じられなかもしれない。しかしそれは、1549年に大聖堂の中央塔が倒壊し、復元されなかったためである。この大聖堂が世界最大の人工物という記録はほんの238年続いたのみで、記録を抜いたピラミッドが記録を保持した年数とは比べものにならない。

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大ピラミッドは世界の七不思議の中で唯一現存する建造物

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ギザの大ピラミッドは、「世界の七不思議」の一つだ。この七不思議の中で、ギザの大ピラミッドは唯一現存する建造物である。西暦紀元前2584年~2561年の間にクフ王のために建てられてから、年月を越えて未だにその場に存在している。これまでに起きたどんな地震も、どんな商人や盗賊も、ギザの大ピラミッドを破壊することはできなかった。

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古代に建てられた他の6基のピラミッドは、ギザの大ピラミッドのように年月を越えて存続することは叶わなかった。バビロンの空中庭園は地震によって破壊された。ゼウス像もまた地震の被害にあった。アルテミス神殿は401年にキリスト教の暴徒によって破壊された。ロードス島の巨像は654年に商人に売却され、商人はそれを破壊したと言われている。

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ピラミッドはすべてナイル川の西岸にある

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エジプトのファラオは、ピラミッドをナイル川の西岸に、太陽が沈む方に面するよう建てられた。これは太陽が沈む方向が死者が向かう方向だと信じられていたためだ。もちろん、これだけが理由ではない。エジプトの支配者は自分達の死後、遺体が盗賊などによって奪われることを恐れ、死後の自分達を守るため、ピラミッドを建てた。

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残念ながら、遺体を無傷に保つためにエジプトのファラオが行った努力は功を成さなかった。ピラミッドの中央に墓を作り、そこに繋がる通路を石壁で塞いでも、強欲な墓荒らしの手から宝物を守ることはできなかった。

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エジプト人は来世で必要となる食べ物を副葬品として入れていた

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古代エジプト人は死後の世界を信じており、死後も使えるようにと墓に色々な副葬品を入れていた。それは高価な宝石から日常品まで多岐にわたる。すべての支配者が共通して必ず入れたものは食べ物だった。死しても腹がすくということだろう。

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また、他にも多くの支配者が入れていた興味深い副葬品は、小さな像である。これらの像はファラオの死後復活し、ファラオを助けると思われていた。発見されたある墓地からは400体の像が見つかっている。この墓からは像しか見つかっていない。

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クルド人支配者、ピラミッドの破壊に失敗

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12世紀、アル・アジズはピラミッドを破壊しようと考えた。クルド人であるエジプトのアイユーブ朝第二代スルタンはこれを破壊しようと実際に試みたのだが、失敗に終わっている。ピラミッドの破壊は時間も労力もかかり過ぎたため、諦めたのだった。

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もちろん、その破壊跡はとあるピラミッドに残されている。メンカウラーのピラミッドを見ると、その一面にかなりの損傷が見てとれる。これがピラミッドを破壊しようとしたアル・アジーズの残忍な計画の名残だ。この見事なまでの失敗からも、いかにこの古代建造物が素晴らしいものか分かるだろう。

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反射する石灰石で覆われていたかつての大ピラミッドは月からも見えただろう

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さて輝かしい全盛期に戻ろう。大ピラミッドは文字通り、エジプトの宝石だった。科学者らはピラミッドが反射するよう加工された石灰石に覆われ、月からも見えたのではなかと推測しているが、イスラエルの山々に住む人々の目にも、この輝かしい栄光が見えたのではなかと考えている。

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古代エジプト人が大ピラミッドを「Ikhet」と呼んでいたのには理由がある。これは古代の言葉で大まかには「壮大な光」という意味だ。ただ、当時この光がどのくらい輝いていたのかは誰も分からない。また、誰もピラミッドに光が反射するよう石灰石を置いてみようと試みた人もいない。

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ピラミッド内部は華氏68度に保たれている

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エジプトの猛烈な暑さにもかかわらず、ピラミッド内部は比較的涼しい。温度計によると、遺物はおよそ華氏68度に保たれているという。こうした素晴らしい技術と冷却の創意工夫がピラミッド内部には凝らされているのだ。

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ファラオの埋葬室には数多くのシャフトが繋がっている。シャフトが開いているときには冷たい空気がすぐに入ってくるようになっている。その結果、埋葬室の温度はぐんと下がり、ファラオが死してなお、快適に過ごせるようになっている。さらに驚くべきことに、外気の温度にかかわらず、埋葬室の温度は一定して68度に保たれている。

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ピラミッドは奴隷によって作られたのではない

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これまでに学校などで習ってきたこととは異なるが、今や、ピラミッドは奴隷によって作られたわけではないことが明らかになっている。絶え間なく働く作業員には報酬が支払われていた。作業員らは南北から集められていたが、ピラミッド建設に従事しているということで、尊敬されてもいた。

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驚くべきことに、作業員が報酬を受けていたというこの事実は、2010年まで知られていなかった。発掘中に、考古学者らがピラミッド作業員の墓を見つけたのだ。遺体は砂に保存され、死後の世界のためにパンやビールなどが埋葬されていた。

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ピラミッドの岩をくっつける役割をしている成分について、誰も知らない

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岩を積み上げて作られたピラミッドは、世界でも最も安定した構造物である。しかしながら現代の科学者らもどうやって、そしてなぜピラミッドが安定しているのかについて解明できていない。岩をくっつける接着剤の役割をしている成分は未だに分解されていない。

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しかし、科学者らは岩をくっつける接着剤の役割をしている成分が非常に強力であることは理解している。残念ながら、科学者らの知識はここまでなのだ。その接着剤が何を使って作られたのかについては謎のままだ。知られていることは目で見えるものだけだ。岩をくっつけている接着剤はピラミッドが破壊できないほどに強力であるということだけなのだ。

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初期ピラミッドのてっぺんは平らだった

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すべてのピラミッドの先端が空へ向かって尖っているわけではない。エジプトで発見された初期ピラミッドのてっぺんは平らだ。こうした墓の側面は三角形でもない。てっぺんが平らな最古のピラミッドは、ジェセル王のピラミッドで、エジプト最古として知られているピラミッドである。

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ジェセル王のピラミッドの発見によって、考古学者らは周囲にある同様のピラミッドも同時期に作られたに違いないとおもった。平らであろうがなかろうが、多くのピラミッドには埋葬室があり、地中に隠されている。これらのマスタバに隠された特定の目的についてご紹介しよう。

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マスタバは臣下の墓場でもある

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マスタバは小型でてっぺんが平らとなっている墓であり、地中に隠し部屋が存在する。この隠し部屋にはファラオにとって大切なもの、つまり臣下が埋葬されている。そう、エジプトの支配者は死に際して、臣下を共に埋葬させていたのだ。この墓の目的は知られていないが、臣下を共に埋葬することによって、死後も王に仕えるのだと考えられている。

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古代エジプト人は魂の繁栄のため、死後も王には世話係が必要だと信じていた向きがある。そのため多くのマスタバには家族が供え物をする見せかけの扉がある。マスタバ以前には、エジプト人は竪穴式墳墓に所有物と共に埋葬されていた。

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最古のピラミッドの設計者 イムホテプ

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ここで取り上げるのは映画「ハムナプトラ」シリーズのイムホテプではない。映画のキャラクターはエジプトの神から名付けられたのかもしれないが、名前以外に類似点はない。本物のイムホテプはジェセル王の治世において宰相であり、優れた建築家でもあった。

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イムホテプは階段ピラミッドを設計した建築家だと考えられている。ジェセル王はイムホテプを高く評価しており、イムホテプの名を刻んだ像が王の中庭にある。奇妙なことに、イムホテプはただの建築家ではなかった。医学にも造詣が深く、死後は医術の神として神格化されたそうだ。

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古代エジプト人の死後-痛みや悲しみのない世界

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ピラミッドの目的が死後の魂を導くためであることは分かっているが、古代エジプト人は死後何があると信じていたのかについては明らかになっていない。死後においても生に執着したエジプト人は、彼らの土地こそ、人間が生きるために神が選んだ土地であると信じていた。

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そういうわけで、死後の世界は生者の世界の鏡映しであると想像していた。唯一死後の世界にないものは、痛みと悲しみである。この信仰によって、エジプト人は最愛の人を埋葬するときに食べ物や飲み物、宝石などを共に埋めたのだ。魂が次の世界で生きるために必要だと考えるすべてのものを。

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ヒエログリフはピラミッド内部には使われていなかったのか

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ヒエログリフは常にエジプト文化と共にあるが、つい最近までピラミッドにヒエログリフがあることは知られていなかった。大ピラミッド内部にロボットしか入らないようなスペースの部屋がいくつかあるが、2002年、ロボットは何もない小さな部屋を見つけたのだった。また、最近別のロボットで大ピラミッドの探索が行われているが、奇跡的な発見があった。このロボットは「マイクロ・スネーク」と呼ばれる小型カメラを使ってヒエログリフを発見した。これはピラミッドにヒエログリフがあることを初めて知らしめた。もし科学者らがこれらの記号の意味を解読することができれば、ピラミッドに残るたくさんの謎を解くカギになるかもしれない。いくつもある謎の1つは、どうやってピラミッドで時間が分かるのかということだ。